03.子安延命地蔵

江戸の中頃、三輪の平等寺(大神神社の神宮寺の一つで平安の初め慶円上人によって創建され、中世から大御輪寺に代わって三輪明神の実権を握った)の長老玄心和尚が聖林寺に隠棲した。この頃から明治の神仏分離令によって神宮寺が滅びるまで、聖林寺と三輪の神宮寺の交流が繁く、天台寺院である妙楽寺の山内にありながら、聖林寺は真言宗の律院(戒律の厳しい寺)として後に述べる特異な性格を帯びることになるのである。

子安延命地蔵

享保の頃、この寺の僧文春は女人泰産を願って一念発起、大石仏造像の願をかけて諸国行脚の旅に発つ。寺伝では、和尚自身の姉が幾度も出産で難儀をしたと伝えているが、江戸時代にはお産で苦しむ婦人がこの界隈にも多かったのであろう。現在の本尊、子安延命地蔵尊はこのようにして和尚の四年七ヶ月に及ぶ托鉢による浄財で造像された。造像にあたって地蔵菩薩が文春和尚の夢枕に立ち自ら仏師を指定したという。 爾来、安産と子授けのお地蔵さまとして人々に親しまれてきた。聖林寺の子授けの祈祷は大要を真言密教の法則に拠っているが、又この寺独自のものがあり、霊験あらたかである。