05.フェノロサ

 聖林寺に移った観音さまは明治二十年、アメリカの哲学者フェノロサによって秘仏の禁が解かれ、人々の前にその美しい姿を初めて現した。この時、フェノロサの驚き尋常でなく、門前から大和盆地を指して、この界隈にどれ程の素封家がいるか知らないが、この仏さま一体にとうてい及ぶものでないと述べたと伝えられている。今に残る本堂脇の厨子は、その際フェノロサらが寄進したものであり、文化財保護施設の魅とも言うべき工夫がなされている。

 明治三十年、旧国宝制度ができると共に国宝に指定された。さらに、昭和二十六年六月、新国宝制度が発足すると第一回の国宝に選ばれた。この時指定された国宝仏はわずかに廿四を数えるに過ぎない。美術的な解説はいろんな書物に述べられているが、まことに、これ程美しく、その尊厳な姿に胸を打たれて、自然に手を合わせられる仏像は少ない。

 聖林寺には、十一面観音の他に、平安期の素文磬、南北朝期の観音浄土補陀落山図、室町期の如来荒神像など解説するに足る仏像、仏画、什宝があるがここでは割愛する。